【出雲神族の渡来・クナトノ大神】
「この世が一夜にして氷の山になった。
大祖先であるクナトノ大神は、その難を避けるため、一族を引き連れて移動し始めた。
東の彼方から氷の山を越え、海沿いに歩いた。
そうして何代もかかって、ようやく辿り着いたのが、出雲の地であった。
今から4000年も前のことである。。。
クナトノ大神は、いろいろな知識を持ち、前からこの地に住んでいた人々に、
鉄の取り方や布の織り方、農耕の方法などを教えた。
糸は、麻、綿、はたの木から作り、これをクリやシイの実で染めた。
出雲人に戦いの歴史はなかった。
人々は、生活をよくしてあげることで、自然についてきた。
クナトノ大神は、王に推された。
首長は『カミ』と呼ばれた。
毎年10月に各国のカミが出雲に集まり、その年の収穫分の分配について、話合いがされた。
収穫の多い国は、少ない国に分け与えた」
これは、出雲神族の末裔、富氏に伝わる伝承のごく一部ですが、
このわずかな文面からも、
クナトノ大神のお人柄と言うか人間性というか、イメージ湧いてきます。
また、出雲王朝が平和で、とても素晴らしい国だったようなイメージも湧きます。
「一夜にして氷の山」とは、ポールシフトやスーパーフリーズ現象などの天変地異が原因だったと考えられますが、
生き残るため、人々を守るため、
このクナトノ大神という方は必死で皆を引き連れ、移動していったのだと思います。
そして、辿り着いたのが、出雲。
出雲に、もともと住みついていた人たちとの友好を推し進めるために、
いろんな技術を教えていったのでしょう。
(恐らく、その時代は、「所有」という概念はなかったと思います。
土地は、誰のものでもなく、また、技術など良いものは、誰にでも分け与えるのが、当たり前の時代だったのではないかと思います)
出雲王朝の最盛期は、北九州から新潟まで広がっており、大和(奈良)や紀伊(和歌山)は、その分国だったようです。
現在の日本の大半が、クナトノ大神から始まった出雲王朝となっていったわけですが、
争いも戦いも無く、助け合い、差し出し合う、とてもとても素晴らしいミロク社会が、
その当時、実現していたのでしょう。
ところが、天孫族(天津神)が攻め入るようになって、状況は変わっていったわけです。
何度か、攻め入り、最後には
鹿島神宮(武甕槌大神)、香取神宮(経津主大神)、息栖神社(天鳥船神)の、武神三神で行われました。
※『日本書紀』では、この三神。『古事記』には経津主大神は出てきません。
『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では、経津主大神だけが国譲りの交渉に来たとされています。が、、、実際はこれら3武神が攻め入ったのでは無い可能性もあります。
※クナトノ大神(岐神)は、鹿島神宮、香取神宮に挟まれた息栖神社の主祭神でもありますがが、鎮魂?封印のためか?
出雲の素晴らしい王朝は消え、新たな時代へと突入していき、現在に至るわけです。
王朝が消えた後、出雲神族ではなく、天照大神の第二皇子・天穂日命の子孫である出雲国造族が、出雲大社での祭祀を執り仕切りました。
そして、1343年に、出雲国造族は千家家と北島家に分裂、幕末までは、この両家で祭祀を分担して行っていましたが、明治になり、千家家が全てを執り行うことになり、現在に至ります。。。
天穂日命に関しては、天照大神の指示で、大国主命に国譲りを求めにいきましたが、
大国主命の人柄や出雲王朝の素晴らしさに感銘して、天孫族を裏切り、出雲神族へとなった、という説と、
もともとスパイだった天穂日命は、それとなく出雲王朝に解け込み、天孫族との戦いを仕向けた、という説があります。(日本書紀、古事記にもある)
出雲国造族の祖神である天穂日命は、先日の出雲ツアーで行きました神魂神社を創建したと言われています。
出雲大社には、八重雲の雲が7つ。神魂神社には八重雲の雲が9つ。。。
ちなみに須我神社の八重雲は8つでした。
出雲大社と神魂神社の八重雲には、何らかの意図が含まれていることを感じます。
また、神魂神社のある場所は、非常に重い波動が漂い、鎮魂の御神業をしましたが、非常に辛かったでした。
話が逸れてしまいましたが、
『国譲り神話』に関して、諸説がありますが、出雲の各地を回って、改めて感じたのは、
私たち(私と岡野弘幹さん)の感覚では、非常に苦しく悲しい血塗られた歴史があったことを感じました。
クナドノ大神を祖神とする出雲神族の末裔である富氏によると、4度に渡る外部からの侵攻により、
出雲神族が全滅するのではないか、と思われるくらい悲惨な状況だったようです。
戦いを知らず、平和に、そして豊かに暮らしていた出雲神族が、ことごとくやられてしまうのは、想像がつきます。
非常に悲しい悲しい出来事であったように感じます。。。
それで、私は、今回の出雲ツアーでは、
私なりに大きな使命を感じ、御神業を行ってまいりました。
もともとは、富士山が危ないとのことで、急遽、開催したツアーでしたが、
そのことと共に、
2010年11月21日に香取神宮で預かった剣を、クナトノ大神にお届けに参ったのです。

↑香取神宮の剣。この剣を預かってから、不思議なことが続発。日本各地を回ることになりました。。。
【聖なるアーク】
香取神宮の剣は、
2010年11月初旬、日本に帰ったきたばかりのあるチャネラーMさんに降りたメッセージによって、預かることになりました。
「ダビデ王の息子であるあなたは、香取神宮へ行き、剣を預かることになる。
そして、その剣は、高千穂に持っていくことになる。
高千穂では、しかるべき霊能者が居るので、その霊能者の指示に従えば良い。
そして、その剣は、聖なるアークとなる」と、
そのチャネラーMさんは、初対面でありながら、突然私に、途方もないことを伝えてきました。
当時、『オーラカフェ』というお店を、東京・汐留でしていた私からすると、
店をしているから、店を空けるわけには行かないし、
今とは違って、香取神宮や高千穂とかは遠くて、現実味の無い話で、
その話を聞いた時、全く実感がわきませんでした。
また、ダビデ王の息子と言われても…、全く、意味がわかりませんでした。。。
ところがどっこい、
その数週間後、2010年11月21日、香取神宮に行くことになり、
剣をお預かりすることになりました。
そして、また、その翌日の11月22日には、高千穂に行くことになったのです。
特に驚いたのは、
その高千穂とは、一般的に言われている天孫降臨の高千穂ではなく、
本当の天孫降臨の聖地と言われる高千穂へと、
この剣の事情を知らない また別のチャネラーAさんに連れて行かれました。
どこに連れて行かれるかわからず、船井勝仁さんたちと共に、行きました。
行くと、びっくり!
その聖地のおひざ元にある神社に、香取神宮の主祭神・経津主大神が祀られていたのです。
これには、勝仁さん共々、非常に驚いてしまいました。。。
この高千穂のことを予言していたチャネラーMさんの言われていた通り、
そこでは、Aさんを含む3人のチャネラーさんが居ました。
そして、その方々に言われるまま、御神業をしてきたのです。
でも、その剣はどうしていいかわからず、私は、自宅の神棚に祀っておきました。
それから、本当、現在に至るまで、全国各地を走らされることになったわけです。

↑御神氣溢れる高千穂の真なる天孫降臨の聖地と言われる場所。ここで剣の御神業をしました。
【大政奉還】
私は、出雲ツアーの前の週に、『レイライン&龍脈ツアー』で、
4/1~2の2日間かけて、仲間たちと共に、鹿島神宮~息栖神社~香取神宮~麻賀多神社~スカイツリータワー~皇居~日枝神社~神田明神~四谷須賀神社~新宿弁天公園~成子天神~明治神宮~将門の首塚へと回りました。
そのツアーに回る数日前、仙酔島(皇后島)での御神業の時、
これまでの約1年半、御神業の旅で、全国各地を共に回っていた船井勝仁さんが私に、
2010年11月21日に私が香取神宮で預かった剣を鹿島神宮に返すと良いかもしれないと言われました。
それで、私は、久々に神棚から剣を持ち出し、『レイライン&龍脈ツアー』の集合場所の東京駅へと向かいましたが、東京駅に着き、電車の扉が開いた途端、
「剣は、鹿島神宮ではない。出雲へ持って行ってくだされ」とピコピコ来ました。
そのピコピコで、意味がわかったのです。
出雲を攻めた側の天津神の剣(経津主大神)を、
出雲にお返しすることで、
「もう戦い、対立はせぬ。
出雲神族よ、どうか、お許しくだされ。
共に和合し、ミロクの世を実現しようぞよ」というようなメッセージを届けに行くことになるのでは、と
思い込みなだけかもしれませんが、ふと感じたのです。
それを感じた時、脳裏に「大政奉還」と言うビジョンが現れたのです。。。
それを感じた翌日、『レイライン&龍脈ツアー』の終盤、明治神宮にて、
大政奉還のシグナルを見ました!
非常に驚きました。。。本当、大政奉還だと思ったのです。

↑「大政奉還」のシグナルに感じた看板と、香取神宮の剣。
【出雲と繋がる皇后島での御神業】

↑皇后島での御神業を終えて。右下は、船井勝仁さん。
2010年11月21日香取神宮で剣を預かり、翌日22日には高千穂の聖地へと持って行き、
2012年4月1日に「出雲へ持っていくように」とピコピコし、
それが大政奉還、、、
出雲神族から国を譲ってもらった天津神が、国を、出雲神族に返す、、、
天津神も国津神も仲良く和合し、ミロクの世の実現へ。。。
そんな思い込みのストーリーへと進展していくわけですが、
そもそも出雲ツアーをすることになったきっかけというのは、
富士山がたいへんなことになるから、それを大難から小難にするためにも、
出雲から仙酔島につながっている神の道を開きに行き、
仙酔島では、隣接する皇后島で船井勝仁さんと共に御神業(↑写真)をし、神の道を開いてくだされ、
出雲では、現象界へのアクションのため、御神業に同行(ツアー参加者)する者に、
神々の働き・パワーを授けるために、神々がお待ちなので、
出雲へ、できるだけたくさんの人たちを連れてきてくだされ、という、
チャネラーFさんに降りたスサノオ様、大国主命様からのメッセージによるもので、
急遽、レイキのスケジュールをキャンセルし、出雲ツアーを決行したのです。
【出雲での御神業】
出雲ツアーは、4/7~8で開催しました。
限られた時間だったので、
4/7は佐太神社、神魂神社、熊野大社、須我神社へと、
4/8は眞名井神社、八重垣神社、須佐神社、御日碕神社、出雲大社、出雲 超パワースポット(神社 数か所)
へと回りました。
本当に、剣を、出雲にお持ちする必要があるなら、きっと、
剣をお持ちするのに、相応しい場所があるはず、と思い、出雲ツアーへと行きました。
まずは、最初に行った佐太神社では非常に驚きました!
というのも、佐太神社の由緒は、本当、複雑というか、不明というか、調べてもよくわからないことが多いのです。
でも、このツアーの行程を考える時、「佐太神社」は何だか、魅かれるものがあって、最初から行こうと決めていました。
そして、行く途中、、、
同行してくださっていた いろんなことに詳しい世界的音楽家の岡野弘幹さんに、佐太神社について聞いてみました。
すると、岡野弘幹さんは、2000年に、YMOの細野晴臣氏、鎌田東二氏(石笛奏者。執筆家、著書多数。京都大学こころの未来研究センター教授、NPO東京自由大学理事長、猿田彦大神フォーラム世話人代表、財団法人 天河文化財団評議員、イワクラ学会理事、日本トランスパワーソナル学会理事)と共に、
佐太神社で奉納演奏をしており、佐太神社について非常に詳しい情報を持っていられました。
そして、教えてもらいました。
↓佐太神社

正面、右手が天津神の社、左手が国津神の社、そして、中央が猿田彦大神の社とのことでした。。。
もう私は、本当、ビックリしました!
今回のツアーの主旨の1つである天津神と国津神の結び、、、、が、
この佐太神社そのものだったのです!!!
まさしく、今回のツアーの始まりに相応しい神社へと、たまたまのたまたま、行ったのです!


↑佐太神社。岡野弘幹さんの奉納演奏。大山祇神社の時(↑写真右)に引き続き、佐太神社では白い光を天上から降りてきてます。マリオの上には青いオーラが出現。
そして、岡野弘幹さんは、12年振りに佐太神社で奉納演奏をされました。
天津神も国津神も仲良く和合し、ミロクの世が実現しますように、祈りを込めて、演奏してくださいました。
★岡野弘幹さんの音楽
その後、各神社を回り、御神業をしていくわけですが、
取り立てて、剣をお持ちするに相応しい場所がなかなか見つかりませんでした。。。
しかし、最後の最後に行った出雲神族の祖神・クナトノ大神が祀られている神社に、その場所があったのです。
その社の前で、全員で一斉に参拝した後、
ピコピコと来て、ある場所へと、岡野弘幹さんと行きました。
すると、すると、そこにあったのです!
ちょうど、その剣をお持ちするに相応しい場所が!!!
本当、ビックリしました!岡野さんもビックリされていました!
そして、そこで、皆さんに見守られながら、厳粛に御神業を執り行いました。
それは、チャネラーのFさんが言われていたように、
見守ってくださっていた方々が、出雲に集まる神々のようであり、
出雲の神々に見守られながら御神業ができたように感じました!
本当、感無量でした!!!
天孫族も出雲族も、
天津神も国津神も、
ユダヤもヤマトも、
富士も鳴門も、
陰も陽も、、、
みんな和合、、、ミロクの世へスパークです!!!
その剣は、本当に、聖なるアークになったような気がしました。
ちなみに、クナトノ大神は、『岐神』とも書きます。
分岐の岐ですから、生きるか、死ぬか?やるか、やらないか?など「選択」や「ボーダーライン」、
あるいは、「バランス」や「均衡」を意味するようにも感じます。。。
そして、御神業の後、最後は、みんなで、ハグして終わりました。。。

本当に素晴らしい出雲ツアーでした。。。
ご参加の皆様、ありがとうございました。
岡野弘幹さんも、緊急参加してくださり、本当、ありがとうございました!
そして、
2010年11月21日から、私とこれまでお付き合いくださっていた香取神宮の剣様、
本当にありがとうございました。
約1年半ほど、共に、各地を回っていたような気がしましたが、
ようやく、お持ちするべきところに、お持ちできたようで、本当にありがとうございました。
さらには、
出雲神族の祖神のクナドノ大神様、誠にありがとうございました。
ミロクの世の実現に向けて、尽力していく所存です。
出雲王朝の時のように、誰もが幸せに暮らす国を実現するべく、私も宇宙船地球号の一員として、
己の天命を全うしていく覚悟です。
今後とも、よろしくお願い致します。
本当にありがとうございました。
濃厚で、意味深い出雲ツアーでした。。。
では、また!
★今後の超パワースポットツアーに関しては、こちらを
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