『 運 』とは、
「運ばれて来るもの」、「やって来るもの」だと
勘違いしている人がいますが、
全くその逆です。。。
↑有人島では日本最南端 波照間島にて。
『 運 』とは、
「運」という漢字の成り立ちを調べればわかることですが、
「移す」や「動かす」の意味であり、
「移されて来る」の意味でも、
「動いて来る」の意味でもありません。
『 運 』とは、
「運ばれる」ことではなく、
「運ぶ」ことなんです。
受け身ではなく、
能動的な意味なのです。
↑日本最北端の島、礼文島にて。
だから、
『 運 』は、
「運ばれて来るもの」ではなく、
「自らが運ぶ(動く)ことにより、
得ることができるもの」なのです!!
↑世界最大級の巨石群 高知県 足摺岬 唐人駄場にて。
だから、
何かの「開運法」にある情報だけを仕入れたり、
自宅や神社で祈って、待っていても
それだけでは、『 運 』はやってきません。
↑富士 山宮浅間神社 古代祭祀場にて。
あるいは、
どこかの「開運グッズ」を買っても、
『 運 』はやって来ません。
自分自身が動かない限り、
行動しない限り、
『 運 』は付いてこないのです。
『 運 』の良い人間にはなれないのです。
よく講座でお伝えしていますが、
思考(損得)や感情(好き嫌い)に振り回されるのではなく(使われるのではなく)、
思考と感情、そして、肉体を 自ら使いこなし、
目の前のことや ご縁あったことに
愛と感謝をたくさん吹き込んで、やっていくのです。
↑沖縄県 久高島にて。
心に心を向けず、
意識に意識を向けず、
ただ湧き出る感情や思考に振り回されていたのでは
動物と同じ。
天とも手を組むような生き方にもならず、
運が付くはずありません。
もう少し言うと、
世の中、すなわち宇宙全体が
より良くなるように、
また、それに貢献できるような人間になれるように、
己自身を常に磨き、
地に足を付けて、
この地球での
天命・ミッションを果たせるように
日々、切磋琢磨、創意工夫、
愛と感謝を持って、
五体五感を使いこなし、
行動していく人間、、、
「天から応援される人間」にならないと、
『 運 』は付いこないのです!
↑ニューヨークにて。
すなわち、「運の良い人」とは、
「天に愛される人」であり、
「天地宇宙自然界」とつながった人のこと。
「エゴ」より、「自分」より、
「宇宙」の意識にチューニングを合わせて生きている人。。。
要は、自我を超越し、
宇宙即我の境地に到達した状態の人、
あるいは、
宇宙即我を目指して、切磋琢磨している人のことなんです。
『 運 』とは、
そんな風に、
「天から応援されるような生き方をしている人間」、
「神と手を組める人間」にしか、
"付いて"来ないのです!
↑屋久島にて。
逆に
「天から見放されるような生き方をしている人間」は、
『 運 』に見放されるのです。
↑メキシコ ユカタン半島にて。
『 運 』に見放されるだけでなく、
災いを招くのです。
『 運 』が"付く"どころか、
邪氣が"憑く"のです。
↑桜島にて。
もちろん、それらの災いは、
たいていの場合、
「天から見放されるような生き方をしている人間」を
「神と手を組める人間」になるように、
天が愛を持って、その人間に与える試練です。
↑山梨県 昇仙峡にて。
だから、
『 運 』が付いてないな〜
最近、嫌なことばかりが起こるな〜
あるいは、
病氣などになった場合などは、
軌道修正するためのシグナルであり、
軌道修正&進化するためのチャンスですから、
それらの試練を
他人や社会のせいにせず、
まずは「自分自身に原因がある」と謙虚に受け止め、
内観内省を繰り返し、
そのプロセスで少しでも氣づいたことがあれば、、、
例えば、感謝心が足りなかったな〜とか、
周りをちゃんと見ていなかったな〜とか、
氣づいたことがあれば、
↑山形県 御釜にて。
その氣づいたことを
実際の行動や態度の中に吹き込んでいくのです。
一日に一つずつで良いから、、、
小さなことで良いから、、、
反省の中から氣づいたことでも、
思いついたことでも、
良いと思ったことを
少しずつ、吹き込んでいくのです。
↑与那国島 ムーの海底遺跡にて。
すると、
行動の質が変わってきます。
オーラも変わってきます。
結果の質が変わってきます。
徐々に『 運 』が開けていきます。。。
人生が変わります!!
これからは、
ほんと、運試しの時代になります!
このような意味での 運が悪い人間は、
これまで以上に、
何かに騙されたり、
間違ったものを選択したり、
道を踏み外したりするでしょう!
だから、運の良い人であってくださいね!
ーーーーーーーーーーーーーーー
↑スイス ルガーノにて。。。
行きたかった国の一つでしたが、、、
まさか、24年前からボランティアでレイキをしているうちに、東日本大震災以降、レイキを教えることになり、
さらに、レイキでスイスや海外にまで行くことになるなんて、、、
レイキと出会った時には想像もしていなかったことです。
24年前から、ただ目の前の困っている友人たちやその家族を放っておくことができず、
ダメ元でレイキをしに行っていただけなのです。
ほんと、人生とはわからないものです。
一生懸命、目の前のことに愛を持って打ち込んでいると、
知らず知らずに、
やるべきこと=天命・天との約束をやらしてくれるんだと思います。
肉体の無い神様の手足のかわりとして、
やらしてくれるんだと思います。
そして、天命だから、苦にならないのです。
魂が喜んでいるのです。楽しいのです。
↑セドナに行く人生になることも想像してませんでした。
昨今、安易に「やりたい」ことだけを求める人も居ます。
あるいは、「有利(得)だから」とか、
「仕方がないから」の氣持ちで仕事をしたり、物事を選択してる人も居ます。
ほんま、
「好き嫌い」や「興味ある無い」の感情、
「損得」や「有利不利」の打算(思考)でしか
行動できない人間も非常に多いです。
でも、それらの感情や打算から湧き出た答えは、
魂の声と一致するとは限らないのです。
それらは、これまでの人生体験や家庭環境、
あるいは、社会洗脳などで
刷り込まれた思い込みや
囚われによって生まれた価値観によって、
弾き出されたものなのかもしれません。
天命・天との約束ではないのかもしれないのです。
↑浜松にて。
天命で無ければ、
好きなことや有利に思えることでも、
うまく行かなかったりするのです。
だから、
好きなことや有利なことだけをしている人たちが全員、
必ずしも、うまく行くわけではないのです。
↑徳之島にて。
だから、
「好きなこと」や「有利なこと」ばかりを
探し求めて、追い求めて動く、というような生き方では、
なかなか天命にはたどり着けないのです。
↑与那国島にて。
「自分探しの旅に出る」と言って、
帰ってこなくなる人がいるでしょ😰
あるいは、
「セミナージプシー」と言うんだったっけ、
いろんなセミナーばかり行って、
ただその時々、頭に情報を入れて、
その刺激=脳内反応によって、
一時的な満足感や安堵感、特別感だけを感じて、
それだけで終わってしまい、
全く進化していない人もいるでしょ😅
あるいは、
例えば、毎日、株の動きばかり氣にして、
株の上げ下げに、瞬間瞬間 一喜一憂し、
毎日その繰り返しで、
得をした時だけ、一時的な歓びを感じてはいるけど、
結局は、
株の動きに振り回されて一喜一憂しているだけで
時間を浪費してしまう人生で終わってしまう人とか、、、
精神性の向上も進化もなく、人生が終わってしまう、、、
とか、
ほんま、それらのような生き方では、
いつまで経っても、
「天に応援される人間」にも
「神と手を組める人間」にもなりません。

私の尊敬するマザーテレサさんが言われてましたけど、
大きなことは できません。
小さなことを
大きな愛を持って行うことです。
と、、、
私の大好きな言葉ですが、、、
↑長野県 戸隠神社 奥社にて。
「好きなこと」や「有利なこと」を
追いかけたり、探したりする前に、
まずは、
今、目の前のことや人、
置かれた環境や状況の中で、
どれだけの大きな愛を持って
向き合うのか?行動するのか?が、
大事だと思います。
↑福島県 五色沼にて。
なぜなら、
目の前のことや人、
置かれた環境や状況は、
宇宙の法則から考えますと、
その人にとって必要な学びや体験(良いも悪いも)や
その中で果たす必要のあるミッション(天との約束)があるからこそ、
それらが用意されているのであり、
それらから、学んだり、
ミッションを果たしていなければ、
次には進めないのです。
それらと真正面から向き合い、
(先ほども書きましたが)
氣づいたことや愛を吹き込み、意識の質を高め、
行動の質、態度の質を高めていくことで、
ミッションが果たせたり、
学ぶべきことが学べたりし、
結果や状況が変わっていき、
求めていなくても、
次のステージに進んで行くようなことに
不思議となっていくはずです。
↑河口湖にて。
仮に、学びやミッションに氣づかず、
あるいは、嫌だからと逃げたとしても、
逃げたところで、
さらに酷い状況が与えられるパターンになる場合が
ほとんどです。
もちろん、中には、
逃げる必要のある場合のこともありますが、
それは、「逃げる」というより、
例えば、
自分の波動が高まることで、
嫌だった人とのご縁が無くなり、
現れなくなったり、
あるいは、その逆もあり、
自分の波動が低下していき、
その置かれた環境や人間関係の波動に同調できなくなり、
外れてしまう場合などもありますから、
一概に「逃げてはダメ」とは言えない場合もありますが、
ほとんどの場合、自分の"弱さ"や"エゴ"で逃げてしまうと、
その後は、さらに厳しくなったり、
より一層、『 運 』に見放されていきます。。。
酷い場合、大病などの試練が与えられてしまいます。。。
↑ハワイ モロカイ島 赤いトカゲ(龍)の滝にて。
私なんかも、非常にたくさんの人たちと関わっていますから、
これまでに、
非常に信頼していた人とのご縁が
心当たりなく、突然切れてしまうことなどがあり、
「自分の何が悪かったのか?」などと
何回も内観してきました。
氣づいた時には、先方へお詫びなどをさせていただき、
また自分をより律するように努力いたしますが、
たまに、いくら考えても、わからない時が
私にもあるんです😰
わずかですが、そんな時、
滅多にないことですが、信頼する霊能者の先生に
相談させてもらう時もあります。
すると、そういう場合、ほとんど全て、
「その者たちは、
ガ(エゴ)を抑え切れずに離れよったな。
本人は川島を切ってやったぞと思っているようじゃが、
実際はその者が川島を切ったのではなく、
その者自身が天から外されよったんじゃ。
外れたからには、その者にはこれから別の試練が来よるが、
川島は氣にせんと、そのまま進め」と言われます。
とは言え、
私の悪い癖で、
氣にするな、と言われても、
その人の最後に会った時のオーラの状況などを思い出すと、
そのままではドツボ踏む可能性が高いなと、
観えていたわけですから、
ドツボを踏まないようにしてあげたく思うのです。
だから、悪い癖ですが、
その人にメールや、
あるいは、へりくだって、「お願い」と称して、
アドバイスなどをするんですが、
すでにガによって、
波動的におかしくなっていたり、
人によっては憑依されていたりして、
私の言葉が全く入らなかったりし、
私的には残念な結末になることもあるのです。
あとは、できることは、
その人に「深い癒しと必要な氣づきが起こりますように」と、
祈るしかありません。。。😥
あくまで、私の場合の例ですが、
そんな風に「逃げる」というか、
人間関係ならば、
一方が波動が高まり、一方が停滞していたり、
あるいは、
一方は安定しているけど、一方が低下したりして、
意識のギャップ、波動のギャップが出てしまい、
ご縁が切れる場合があります。
ーーーーーーーーーーーーーーー
↑仙酔島にて。
ありゃりゃ、、、
かなり話が逸れました🙇
『 運 』が付いて来る人間と、
『 運 』に見放されてる人間の話でした。。。
すなわち、
「天(神)」が付いてる人間と、
「天(神)」に見放されてしまう人間のこと。
生き方、考え方、
行動の質、態度の質、
意識の違いで、これからの時代、
『 運 』の良い人間、悪い人間に
はっきりと分かれてしまうでしょう。
先日、
http://shinsukek.ldblog.jp/archives/54305017.html
にも書いてますが、
特にこれから、アクエリアスの時代、水瓶座の時代に向けて、
『 運 』があるか ないか、
『 ツキ 』があるか ないか、で、
命運が大きく変わってしまう流れになってきているんです!
だから、大事なことなんです!
↑イタリア ドロミテにて。
そして、
その『 運 』の良い人間、悪い人間の違い、、、
分かれ目は 何かと言うと、、、
実は、
さんざん、このブログや講座で
お伝えしていることなんです😆
要は「宇宙の法則に合致した生き方=天との約束・天命を生きる」をすればするほど、
それすなわち、「天との共同作業」にて、
それこそ、
「運が付く」=「天と一体化する」=「神との一体化」、、、
出口王仁三郎さんの言われていた
『神人一致』ということなんです。
※最近の間違ったスピリチュアルや欲望を煽るだけの自己啓発などでよく言われている「自分自神」という おこがましい言葉とは、全く意味合いが違います。
まさしく、龍神レイキでは、
皆さんを
理屈などの 一時的な脳内刺激によってではなく、
レイキ・アチューメントによって、
エネルギー的にしっかりと宇宙につなげ、
『 運 』の良い人間にしていくことを目的の一つとしています。
現代医学であきらめられている難病を乗り越えるにしても、
天命を果たせる器の人間になるにしても、
結局は、
『 運 』の良い人間=宇宙の法則に合致した生き方のできる人間、天に愛される人間にならなければ、
叶わないことなのです。
『 運 』の良い人間は、
ウイルスや天変地異、病氣など、
あらゆる邪氣(試練)を祓い除けることのできる、
神々しいオーラを発する人間なのです!
特に今年2020年から、
本格的に水瓶座の時代、アクエリアスの時代へと突入し、
水の如く、龍(流)の如く、生きることが肝要になります。
(「流れ」の無い水は腐ります。自ら挑戦しない、自ら動けない人間は、朽ち果てます)
だから、『龍神レイキ®︎』なのです😅
↑メキシコ ユカタン半島にて。
「龍神アチューメント」の型は、
映画『君の名は』の舞台の一つと言われる岐阜県の位山での御神業の時に
高次元より降りてきたのですが、
『龍神レイキ®︎』の名前は、その後、
台湾の有名なチャネラーさんに降りてきた神様からのお告げにより、
半ば強制的に付けられた名前です。
(神様の名前を使うのはおこがましいと断ったのですが、神様からのお告げだから、と説得されたのです)
↑出雲 穴道湖 御神業直後に現れた大龍神様。
もともとは、私自身、
特別、龍神様に意識が向いていたわけでなく、
そのような「龍神アチューメント」の型と、
『龍神レイキ®︎』の名前を授かったのは、
それは、
水瓶座の時代、アクエリアスの時代に向けて、
人類が、
「龍神様」の振動に同調する人間に進化する必要があるから、
その技というかエネルギーを授けていただいたようです。
スピリチュアルを深く勉強している方なら、
新しい時代に向けて、封印が解かれる(もう解かれています)『国常立大神』という名前の神様をご存知でしょう。
『国常立大神様』もまた、その実体は
大龍神様であり、
別名、『艮の金神様』とも言います。

『艮の金神』の名前をよく見るとわかりますが
「艮」と「金」で、
「銀」の「神」なのです。
「銀」は「銀河」の「銀」です。
「銀行」の「銀」でもあります。
↑私の自宅「龍神の間」にある 円山応挙 作 龍雲図。天皇家をお守りしてきた忍者の家系の47代目当主のS先生から いただいた画。
すなわち、
「銀河」は龍の如く、渦を巻いて、回り続けています。
流れ続けています。
「銀行」は"お金を融通する"機能が主たる事業であり、
世の中にお金を流しています。
(最近の銀行は本来の業務を忘れて、マネーゲームにばかり走り、痛手を受けそうな状態になっていますが😨)
要は、
「銀」とは、「流れる」と言う意味があるのです。
これまでの魚座の時代は「石の時代」と言われ、
流れ続ける必要性のある水瓶座の時代「水の時代」とは真逆です。
↑大阪 天の磐船。
「石の時代」は、石=ピラミッド、磐座、アスファルト、都市を意味する他、
石は容易に形も変えないし、大きな石は動かないように、
「安定する」と意味があります。
↑沖縄 大石林山にて。ピラミッド(日来御堂)はエジプトではなく、日本が発祥。岩を積む様子が剥き出しに。
すなわち、魚座の時代、「石の時代」は
流れ続けるのではなく、
「留まる」ことで、進化していくプログラムなのです。
街を作り、安定した生き方を目指し、
創意工夫し、そのプロセスで進化していくと言う生成発展のプログラムでしたし、
「金」の時代でもあったのです。
↑櫻井喜美夫先生の黄金宝珠。売り切れてます。
古代文明から現代に至るまで、
「金」は権力や富の象徴になっていますが、
「金」は魚座の時代・石の時代の象徴でもあり、
「金庫」と言う言葉があるように、
「銀」の「流れる」の意味とは逆の
「留まる」の意味があります。
魚座の時代は、
「金」の時代、留まる時代であり、
水瓶座の時代は、
『艮の金神様』の復活、、、
「銀」の時代、銀河時代、
流れ続ける時代、龍の時代なのです。。。
ほんま、
この水瓶座の時代、アクエリアスの時代こそ、
『 運 』が大事になってきます。
宇宙の進化、銀河の流れに乗れる精神性が
求められます。
↑私の自宅、龍神の間。ちなみに私は、神様というか、見えない大いなる存在への感謝心、信仰心はありますが、宗教はしていません。所属してません。
流れ続けますが、軸からブレてはなりません。
銀河にも、太陽系にも中心軸があるように、
軸がある中、すなわち、宇宙の根っことのつながりを持って、
流れ続けること、
挑戦し続けていくこと、
進化し続けていくことが肝要です。
根無し草では、「流れる」のではなく、
「流される」のです。流されてしまうのです。
宇宙とのつながり、中庸の軸を持って、
龍の如く、流れ続けることが大事なのです。
魚座の時代、石の時代、金の時代、
留まることに慣れてしまった人たちを
水瓶座の時代、水の時代、銀の時代、
すなわち、龍の周波数、振動数になるために、
『龍神レイキ®︎』が
国常立大神様の封印解除と共に
授けられたのです。。。
↑虹色の龍神伝説のあるムーの神殿にて。
前置きが長くなりましたが、、、
2月24日の魚座の新月についてですが、
長くなりすぎたので、
また別に書きます!😅
大事なんで!
では、またね!
↑沖縄最北端 辺戸岬にて。
「運ばれて来るもの」、「やって来るもの」だと
勘違いしている人がいますが、
全くその逆です。。。
↑有人島では日本最南端 波照間島にて。
『 運 』とは、
「運」という漢字の成り立ちを調べればわかることですが、
「移す」や「動かす」の意味であり、
「移されて来る」の意味でも、
「動いて来る」の意味でもありません。
『 運 』とは、
「運ばれる」ことではなく、
「運ぶ」ことなんです。
受け身ではなく、
能動的な意味なのです。

だから、
『 運 』は、
「運ばれて来るもの」ではなく、
「自らが運ぶ(動く)ことにより、
得ることができるもの」なのです!!
↑世界最大級の巨石群 高知県 足摺岬 唐人駄場にて。
だから、
何かの「開運法」にある情報だけを仕入れたり、
自宅や神社で祈って、待っていても
それだけでは、『 運 』はやってきません。
↑富士 山宮浅間神社 古代祭祀場にて。
あるいは、
どこかの「開運グッズ」を買っても、
『 運 』はやって来ません。
自分自身が動かない限り、
行動しない限り、
『 運 』は付いてこないのです。
『 運 』の良い人間にはなれないのです。
よく講座でお伝えしていますが、
思考(損得)や感情(好き嫌い)に振り回されるのではなく(使われるのではなく)、
思考と感情、そして、肉体を 自ら使いこなし、
目の前のことや ご縁あったことに
愛と感謝をたくさん吹き込んで、やっていくのです。
↑沖縄県 久高島にて。
心に心を向けず、
意識に意識を向けず、
ただ湧き出る感情や思考に振り回されていたのでは
動物と同じ。
天とも手を組むような生き方にもならず、
運が付くはずありません。
もう少し言うと、
世の中、すなわち宇宙全体が
より良くなるように、
また、それに貢献できるような人間になれるように、
己自身を常に磨き、
地に足を付けて、
この地球での
天命・ミッションを果たせるように
日々、切磋琢磨、創意工夫、
愛と感謝を持って、
五体五感を使いこなし、
行動していく人間、、、
「天から応援される人間」にならないと、
『 運 』は付いこないのです!
↑ニューヨークにて。
すなわち、「運の良い人」とは、
「天に愛される人」であり、
「天地宇宙自然界」とつながった人のこと。
「エゴ」より、「自分」より、
「宇宙」の意識にチューニングを合わせて生きている人。。。
要は、自我を超越し、
宇宙即我の境地に到達した状態の人、
あるいは、
宇宙即我を目指して、切磋琢磨している人のことなんです。
『 運 』とは、
そんな風に、
「天から応援されるような生き方をしている人間」、
「神と手を組める人間」にしか、
"付いて"来ないのです!
↑屋久島にて。
逆に
「天から見放されるような生き方をしている人間」は、
『 運 』に見放されるのです。
↑メキシコ ユカタン半島にて。
『 運 』に見放されるだけでなく、
災いを招くのです。
『 運 』が"付く"どころか、
邪氣が"憑く"のです。
↑桜島にて。
もちろん、それらの災いは、
たいていの場合、
「天から見放されるような生き方をしている人間」を
「神と手を組める人間」になるように、
天が愛を持って、その人間に与える試練です。
↑山梨県 昇仙峡にて。
だから、
『 運 』が付いてないな〜
最近、嫌なことばかりが起こるな〜
あるいは、
病氣などになった場合などは、
軌道修正するためのシグナルであり、
軌道修正&進化するためのチャンスですから、
それらの試練を
他人や社会のせいにせず、
まずは「自分自身に原因がある」と謙虚に受け止め、
内観内省を繰り返し、
そのプロセスで少しでも氣づいたことがあれば、、、
例えば、感謝心が足りなかったな〜とか、
周りをちゃんと見ていなかったな〜とか、
氣づいたことがあれば、
↑山形県 御釜にて。
その氣づいたことを
実際の行動や態度の中に吹き込んでいくのです。
一日に一つずつで良いから、、、
小さなことで良いから、、、
反省の中から氣づいたことでも、
思いついたことでも、
良いと思ったことを
少しずつ、吹き込んでいくのです。
↑与那国島 ムーの海底遺跡にて。
すると、
行動の質が変わってきます。
オーラも変わってきます。
結果の質が変わってきます。
徐々に『 運 』が開けていきます。。。
人生が変わります!!
これからは、
ほんと、運試しの時代になります!
このような意味での 運が悪い人間は、
これまで以上に、
何かに騙されたり、
間違ったものを選択したり、
道を踏み外したりするでしょう!
だから、運の良い人であってくださいね!
ーーーーーーーーーーーーーーー
↑スイス ルガーノにて。。。
行きたかった国の一つでしたが、、、
まさか、24年前からボランティアでレイキをしているうちに、東日本大震災以降、レイキを教えることになり、
さらに、レイキでスイスや海外にまで行くことになるなんて、、、
レイキと出会った時には想像もしていなかったことです。
24年前から、ただ目の前の困っている友人たちやその家族を放っておくことができず、
ダメ元でレイキをしに行っていただけなのです。
ほんと、人生とはわからないものです。
一生懸命、目の前のことに愛を持って打ち込んでいると、
知らず知らずに、
やるべきこと=天命・天との約束をやらしてくれるんだと思います。
肉体の無い神様の手足のかわりとして、
やらしてくれるんだと思います。
そして、天命だから、苦にならないのです。
魂が喜んでいるのです。楽しいのです。
↑セドナに行く人生になることも想像してませんでした。
昨今、安易に「やりたい」ことだけを求める人も居ます。
あるいは、「有利(得)だから」とか、
「仕方がないから」の氣持ちで仕事をしたり、物事を選択してる人も居ます。
ほんま、
「好き嫌い」や「興味ある無い」の感情、
「損得」や「有利不利」の打算(思考)でしか
行動できない人間も非常に多いです。
でも、それらの感情や打算から湧き出た答えは、
魂の声と一致するとは限らないのです。
それらは、これまでの人生体験や家庭環境、
あるいは、社会洗脳などで
刷り込まれた思い込みや
囚われによって生まれた価値観によって、
弾き出されたものなのかもしれません。
天命・天との約束ではないのかもしれないのです。
↑浜松にて。
天命で無ければ、
好きなことや有利に思えることでも、
うまく行かなかったりするのです。
だから、
好きなことや有利なことだけをしている人たちが全員、
必ずしも、うまく行くわけではないのです。
↑徳之島にて。
だから、
「好きなこと」や「有利なこと」ばかりを
探し求めて、追い求めて動く、というような生き方では、
なかなか天命にはたどり着けないのです。
↑与那国島にて。
「自分探しの旅に出る」と言って、
帰ってこなくなる人がいるでしょ😰
あるいは、
「セミナージプシー」と言うんだったっけ、
いろんなセミナーばかり行って、
ただその時々、頭に情報を入れて、
その刺激=脳内反応によって、
一時的な満足感や安堵感、特別感だけを感じて、
それだけで終わってしまい、
全く進化していない人もいるでしょ😅
あるいは、
例えば、毎日、株の動きばかり氣にして、
株の上げ下げに、瞬間瞬間 一喜一憂し、
毎日その繰り返しで、
得をした時だけ、一時的な歓びを感じてはいるけど、
結局は、
株の動きに振り回されて一喜一憂しているだけで
時間を浪費してしまう人生で終わってしまう人とか、、、
精神性の向上も進化もなく、人生が終わってしまう、、、
とか、
ほんま、それらのような生き方では、
いつまで経っても、
「天に応援される人間」にも
「神と手を組める人間」にもなりません。

私の尊敬するマザーテレサさんが言われてましたけど、
大きなことは できません。
小さなことを
大きな愛を持って行うことです。
と、、、
私の大好きな言葉ですが、、、
↑長野県 戸隠神社 奥社にて。
「好きなこと」や「有利なこと」を
追いかけたり、探したりする前に、
まずは、
今、目の前のことや人、
置かれた環境や状況の中で、
どれだけの大きな愛を持って
向き合うのか?行動するのか?が、
大事だと思います。
↑福島県 五色沼にて。
なぜなら、
目の前のことや人、
置かれた環境や状況は、
宇宙の法則から考えますと、
その人にとって必要な学びや体験(良いも悪いも)や
その中で果たす必要のあるミッション(天との約束)があるからこそ、
それらが用意されているのであり、
それらから、学んだり、
ミッションを果たしていなければ、
次には進めないのです。
それらと真正面から向き合い、
(先ほども書きましたが)
氣づいたことや愛を吹き込み、意識の質を高め、
行動の質、態度の質を高めていくことで、
ミッションが果たせたり、
学ぶべきことが学べたりし、
結果や状況が変わっていき、
求めていなくても、
次のステージに進んで行くようなことに
不思議となっていくはずです。
↑河口湖にて。
仮に、学びやミッションに氣づかず、
あるいは、嫌だからと逃げたとしても、
逃げたところで、
さらに酷い状況が与えられるパターンになる場合が
ほとんどです。
もちろん、中には、
逃げる必要のある場合のこともありますが、
それは、「逃げる」というより、
例えば、
自分の波動が高まることで、
嫌だった人とのご縁が無くなり、
現れなくなったり、
あるいは、その逆もあり、
自分の波動が低下していき、
その置かれた環境や人間関係の波動に同調できなくなり、
外れてしまう場合などもありますから、
一概に「逃げてはダメ」とは言えない場合もありますが、
ほとんどの場合、自分の"弱さ"や"エゴ"で逃げてしまうと、
その後は、さらに厳しくなったり、
より一層、『 運 』に見放されていきます。。。
酷い場合、大病などの試練が与えられてしまいます。。。
↑ハワイ モロカイ島 赤いトカゲ(龍)の滝にて。
私なんかも、非常にたくさんの人たちと関わっていますから、
これまでに、
非常に信頼していた人とのご縁が
心当たりなく、突然切れてしまうことなどがあり、
「自分の何が悪かったのか?」などと
何回も内観してきました。
氣づいた時には、先方へお詫びなどをさせていただき、
また自分をより律するように努力いたしますが、
たまに、いくら考えても、わからない時が
私にもあるんです😰
わずかですが、そんな時、
滅多にないことですが、信頼する霊能者の先生に
相談させてもらう時もあります。
すると、そういう場合、ほとんど全て、
「その者たちは、
ガ(エゴ)を抑え切れずに離れよったな。
本人は川島を切ってやったぞと思っているようじゃが、
実際はその者が川島を切ったのではなく、
その者自身が天から外されよったんじゃ。
外れたからには、その者にはこれから別の試練が来よるが、
川島は氣にせんと、そのまま進め」と言われます。
とは言え、
私の悪い癖で、
氣にするな、と言われても、
その人の最後に会った時のオーラの状況などを思い出すと、
そのままではドツボ踏む可能性が高いなと、
観えていたわけですから、
ドツボを踏まないようにしてあげたく思うのです。
だから、悪い癖ですが、
その人にメールや、
あるいは、へりくだって、「お願い」と称して、
アドバイスなどをするんですが、
すでにガによって、
波動的におかしくなっていたり、
人によっては憑依されていたりして、
私の言葉が全く入らなかったりし、
私的には残念な結末になることもあるのです。
あとは、できることは、
その人に「深い癒しと必要な氣づきが起こりますように」と、
祈るしかありません。。。😥
あくまで、私の場合の例ですが、
そんな風に「逃げる」というか、
人間関係ならば、
一方が波動が高まり、一方が停滞していたり、
あるいは、
一方は安定しているけど、一方が低下したりして、
意識のギャップ、波動のギャップが出てしまい、
ご縁が切れる場合があります。
ーーーーーーーーーーーーーーー
↑仙酔島にて。
ありゃりゃ、、、
かなり話が逸れました🙇
『 運 』が付いて来る人間と、
『 運 』に見放されてる人間の話でした。。。
すなわち、
「天(神)」が付いてる人間と、
「天(神)」に見放されてしまう人間のこと。
生き方、考え方、
行動の質、態度の質、
意識の違いで、これからの時代、
『 運 』の良い人間、悪い人間に
はっきりと分かれてしまうでしょう。
先日、
http://shinsukek.ldblog.jp/archives/54305017.html
にも書いてますが、
特にこれから、アクエリアスの時代、水瓶座の時代に向けて、
『 運 』があるか ないか、
『 ツキ 』があるか ないか、で、
命運が大きく変わってしまう流れになってきているんです!
だから、大事なことなんです!
↑イタリア ドロミテにて。
そして、
その『 運 』の良い人間、悪い人間の違い、、、
分かれ目は 何かと言うと、、、
実は、
さんざん、このブログや講座で
お伝えしていることなんです😆
要は「宇宙の法則に合致した生き方=天との約束・天命を生きる」をすればするほど、
それすなわち、「天との共同作業」にて、
それこそ、
「運が付く」=「天と一体化する」=「神との一体化」、、、
出口王仁三郎さんの言われていた
『神人一致』ということなんです。
※最近の間違ったスピリチュアルや欲望を煽るだけの自己啓発などでよく言われている「自分自神」という おこがましい言葉とは、全く意味合いが違います。
まさしく、龍神レイキでは、
皆さんを
理屈などの 一時的な脳内刺激によってではなく、
レイキ・アチューメントによって、
エネルギー的にしっかりと宇宙につなげ、
『 運 』の良い人間にしていくことを目的の一つとしています。
現代医学であきらめられている難病を乗り越えるにしても、
天命を果たせる器の人間になるにしても、
結局は、
『 運 』の良い人間=宇宙の法則に合致した生き方のできる人間、天に愛される人間にならなければ、
叶わないことなのです。
『 運 』の良い人間は、
ウイルスや天変地異、病氣など、
あらゆる邪氣(試練)を祓い除けることのできる、
神々しいオーラを発する人間なのです!
特に今年2020年から、
本格的に水瓶座の時代、アクエリアスの時代へと突入し、
水の如く、龍(流)の如く、生きることが肝要になります。
(「流れ」の無い水は腐ります。自ら挑戦しない、自ら動けない人間は、朽ち果てます)
だから、『龍神レイキ®︎』なのです😅
↑メキシコ ユカタン半島にて。
「龍神アチューメント」の型は、
映画『君の名は』の舞台の一つと言われる岐阜県の位山での御神業の時に
高次元より降りてきたのですが、
『龍神レイキ®︎』の名前は、その後、
台湾の有名なチャネラーさんに降りてきた神様からのお告げにより、
半ば強制的に付けられた名前です。
(神様の名前を使うのはおこがましいと断ったのですが、神様からのお告げだから、と説得されたのです)
↑出雲 穴道湖 御神業直後に現れた大龍神様。
もともとは、私自身、
特別、龍神様に意識が向いていたわけでなく、
そのような「龍神アチューメント」の型と、
『龍神レイキ®︎』の名前を授かったのは、
それは、
水瓶座の時代、アクエリアスの時代に向けて、
人類が、
「龍神様」の振動に同調する人間に進化する必要があるから、
その技というかエネルギーを授けていただいたようです。
スピリチュアルを深く勉強している方なら、
新しい時代に向けて、封印が解かれる(もう解かれています)『国常立大神』という名前の神様をご存知でしょう。
『国常立大神様』もまた、その実体は
大龍神様であり、
別名、『艮の金神様』とも言います。

『艮の金神』の名前をよく見るとわかりますが
「艮」と「金」で、
「銀」の「神」なのです。
「銀」は「銀河」の「銀」です。
「銀行」の「銀」でもあります。
↑私の自宅「龍神の間」にある 円山応挙 作 龍雲図。天皇家をお守りしてきた忍者の家系の47代目当主のS先生から いただいた画。
すなわち、
「銀河」は龍の如く、渦を巻いて、回り続けています。
流れ続けています。
「銀行」は"お金を融通する"機能が主たる事業であり、
世の中にお金を流しています。
(最近の銀行は本来の業務を忘れて、マネーゲームにばかり走り、痛手を受けそうな状態になっていますが😨)
要は、
「銀」とは、「流れる」と言う意味があるのです。
これまでの魚座の時代は「石の時代」と言われ、
流れ続ける必要性のある水瓶座の時代「水の時代」とは真逆です。
↑大阪 天の磐船。
「石の時代」は、石=ピラミッド、磐座、アスファルト、都市を意味する他、
石は容易に形も変えないし、大きな石は動かないように、
「安定する」と意味があります。
↑沖縄 大石林山にて。ピラミッド(日来御堂)はエジプトではなく、日本が発祥。岩を積む様子が剥き出しに。
すなわち、魚座の時代、「石の時代」は
流れ続けるのではなく、
「留まる」ことで、進化していくプログラムなのです。
街を作り、安定した生き方を目指し、
創意工夫し、そのプロセスで進化していくと言う生成発展のプログラムでしたし、
「金」の時代でもあったのです。
↑櫻井喜美夫先生の黄金宝珠。売り切れてます。
古代文明から現代に至るまで、
「金」は権力や富の象徴になっていますが、
「金」は魚座の時代・石の時代の象徴でもあり、
「金庫」と言う言葉があるように、
「銀」の「流れる」の意味とは逆の
「留まる」の意味があります。
魚座の時代は、
「金」の時代、留まる時代であり、
水瓶座の時代は、
『艮の金神様』の復活、、、
「銀」の時代、銀河時代、
流れ続ける時代、龍の時代なのです。。。
ほんま、
この水瓶座の時代、アクエリアスの時代こそ、
『 運 』が大事になってきます。
宇宙の進化、銀河の流れに乗れる精神性が
求められます。
↑私の自宅、龍神の間。ちなみに私は、神様というか、見えない大いなる存在への感謝心、信仰心はありますが、宗教はしていません。所属してません。
流れ続けますが、軸からブレてはなりません。
銀河にも、太陽系にも中心軸があるように、
軸がある中、すなわち、宇宙の根っことのつながりを持って、
流れ続けること、
挑戦し続けていくこと、
進化し続けていくことが肝要です。
根無し草では、「流れる」のではなく、
「流される」のです。流されてしまうのです。
宇宙とのつながり、中庸の軸を持って、
龍の如く、流れ続けることが大事なのです。
魚座の時代、石の時代、金の時代、
留まることに慣れてしまった人たちを
水瓶座の時代、水の時代、銀の時代、
すなわち、龍の周波数、振動数になるために、
『龍神レイキ®︎』が
国常立大神様の封印解除と共に
授けられたのです。。。
↑虹色の龍神伝説のあるムーの神殿にて。
前置きが長くなりましたが、、、
2月24日の魚座の新月についてですが、
長くなりすぎたので、
また別に書きます!😅
大事なんで!
では、またね!
↑沖縄最北端 辺戸岬にて。
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