http://shinsukek.ldblog.jp/archives/48964947.html からの続き、、、
そんな中、、、今日(昨日)、
まず、向かったのは、2.5メートルの津波が発生していたと言われる塩釜へ、、、
塩釜には、東北鎮護 陸奥国一ノ宮の塩竈神社という神社があります。
東日本大震災後、 被災地を訪ねた際、最初に行ったのが、この塩竈神社でした。。。
塩竈神社の主祭神は、
鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)で、
他、
経津主神(香取神宮主祭神)と、
武甕槌神(鹿島神宮主祭神)が祀られています。
そして、この鹽土老翁神は、
東日本大震災後、初めて この塩竈神社に来た時に知ったばかりの わからない神様でしたが、、、
この塩竈神社には、
香取神宮の経津主神と鹿島神宮の武甕槌神を祀っていることから、
鹽土老翁神は、
息栖(いきす)神社の祭神であり、
出雲の祖神と言われる 岐神(クナトノ大神)ではないかと、ピコピコ!来ました!
なぜなら、
鹿島神宮〜香取神宮〜息栖神社は二等辺三角形を成し、東国三社と言われており、密接なつながりがある三神(三柱)なので
鹽土老翁神は、出雲の祖神、岐神ではないのか?と感じたのです!
ちなみに、岐神とは、最近になって わかりましたが
猿田彦大神のこと。。。
すなわち、鹽土老翁神=岐神=猿田彦大神。
茨城県の神栖市の息栖神社の周りを歩くと
猿田、という 苗字の商店やお名前が たくさんあるので、それとプラス、裏出雲御神業で氣がつきましたが、
息栖神社の祭神 岐神が、猿田彦大神と同一神だったのです!
話がぐちゃぐちゃしましたが、、、
まとめると、この塩竈神社の主祭神、鹽土老翁神は、
猿田彦大神であり、
岐神(クナトノ大神)であり、
出雲の祖神なのです。
すなわち、この塩竈神社もまた、
出雲国の地であったという暗号でもあるのです。
さらに、
この塩竈神社に隣接して、
↑志波彦神社という神社があり、
その主祭神は、
志波彦大神と言いますが、、、
この志波彦大神も 謎です。
塩竈神社の正式名称は、
志波彦神社塩竈神社と、この志波彦神社が先に来ます。
また、
この志波彦神は、もとのもとは、この塩竈神社に祀られていたのが、
後に どういうわけか、岩切という場所に移され、長く岩切で鎮座しておりました。
ところが、明治時代になって、発見された古文書に、志波彦神は、もともと塩竈神社に祀られていたことがわかり、
慌てて、明治天皇が、
岩切 にあった志波彦神社を、この塩竈神社に戻したのです。
志波彦神の、志波とは、シワと読み、
その意味は、朝廷勢力圏の端 を意味するそうで、
志波彦神とは、朝廷勢力圏の端の国津神を意味するそうです。。。
で、
先に書きましたが、
志波彦神社が、塩竈神社の地に移されてから、
岩切の地には、スサノオを主祭神とする八坂神社になったそうです。
そして、今日、
塩竈神社を出るとき、ちょっとしたことがあり
牛さん=牛頭天王に呼ばれ、、、
ピコピコ!来ました!
牛=スサノオの意味があり、
どうも、志波彦神とは、スサノオ様のようです!
猿田彦大神様とスサノオ様、、、
ムー没後、超古代日本を生んだ二神(二柱)が、、、
塩竈(塩釜市)の地と関係しているみたい、、、。
何回も、御神業に来て、さらに前進した感じ。
そして、この塩竈神社にて、
今日(昨日)の御神業の意図をお伝えしようと、参拝すると、
突如、東日本大震災後の悲惨な光景が目に浮かび、、、涙が出そうになり、
涙が出そうになると同時くらいに、
誰か男性の声が、、、
「頼んだぞ」と!!
ハッとして、びっくりして、我に返りそうになった途端、
次は、眉間にグイグイ圧がかかり、
松果体が熱くなりました!!
まるで、何かのエネルギーがアチューメントされたように感じました。
びっくりしました!
そして、長年、ここから、この街を守ってきた、
そして、震災も見てきた、霊木に、
光の御柱を立てあげてさせていただきました!!
スサノオ様、猿田彦大神様、経津主神様、、、
何かと、私の御神業にご縁のある神々様、、、
その神々様に支えられているような氣が
本当、しました!
そして、次に行った神社で、
鹽土老翁神の謎が完全に解け、
今回の御神業の意味も はっきりわかったのでした。
つづく。
そんな中、、、今日(昨日)、
まず、向かったのは、2.5メートルの津波が発生していたと言われる塩釜へ、、、
塩釜には、東北鎮護 陸奥国一ノ宮の塩竈神社という神社があります。
東日本大震災後、 被災地を訪ねた際、最初に行ったのが、この塩竈神社でした。。。
塩竈神社の主祭神は、
鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)で、
他、
経津主神(香取神宮主祭神)と、
武甕槌神(鹿島神宮主祭神)が祀られています。
そして、この鹽土老翁神は、
東日本大震災後、初めて この塩竈神社に来た時に知ったばかりの わからない神様でしたが、、、
この塩竈神社には、
香取神宮の経津主神と鹿島神宮の武甕槌神を祀っていることから、
鹽土老翁神は、
息栖(いきす)神社の祭神であり、
出雲の祖神と言われる 岐神(クナトノ大神)ではないかと、ピコピコ!来ました!
なぜなら、
鹿島神宮〜香取神宮〜息栖神社は二等辺三角形を成し、東国三社と言われており、密接なつながりがある三神(三柱)なので
鹽土老翁神は、出雲の祖神、岐神ではないのか?と感じたのです!
ちなみに、岐神とは、最近になって わかりましたが
猿田彦大神のこと。。。
すなわち、鹽土老翁神=岐神=猿田彦大神。
茨城県の神栖市の息栖神社の周りを歩くと
猿田、という 苗字の商店やお名前が たくさんあるので、それとプラス、裏出雲御神業で氣がつきましたが、
息栖神社の祭神 岐神が、猿田彦大神と同一神だったのです!
話がぐちゃぐちゃしましたが、、、
まとめると、この塩竈神社の主祭神、鹽土老翁神は、
猿田彦大神であり、
岐神(クナトノ大神)であり、
出雲の祖神なのです。
すなわち、この塩竈神社もまた、
出雲国の地であったという暗号でもあるのです。
さらに、
この塩竈神社に隣接して、
↑志波彦神社という神社があり、
その主祭神は、
志波彦大神と言いますが、、、
この志波彦大神も 謎です。
塩竈神社の正式名称は、
志波彦神社塩竈神社と、この志波彦神社が先に来ます。
また、
この志波彦神は、もとのもとは、この塩竈神社に祀られていたのが、
後に どういうわけか、岩切という場所に移され、長く岩切で鎮座しておりました。
ところが、明治時代になって、発見された古文書に、志波彦神は、もともと塩竈神社に祀られていたことがわかり、
慌てて、明治天皇が、
岩切 にあった志波彦神社を、この塩竈神社に戻したのです。
志波彦神の、志波とは、シワと読み、
その意味は、朝廷勢力圏の端 を意味するそうで、
志波彦神とは、朝廷勢力圏の端の国津神を意味するそうです。。。
で、
先に書きましたが、
志波彦神社が、塩竈神社の地に移されてから、
岩切の地には、スサノオを主祭神とする八坂神社になったそうです。
そして、今日、
塩竈神社を出るとき、ちょっとしたことがあり
牛さん=牛頭天王に呼ばれ、、、
ピコピコ!来ました!
牛=スサノオの意味があり、
どうも、志波彦神とは、スサノオ様のようです!
猿田彦大神様とスサノオ様、、、
ムー没後、超古代日本を生んだ二神(二柱)が、、、
塩竈(塩釜市)の地と関係しているみたい、、、。
何回も、御神業に来て、さらに前進した感じ。
そして、この塩竈神社にて、
今日(昨日)の御神業の意図をお伝えしようと、参拝すると、
突如、東日本大震災後の悲惨な光景が目に浮かび、、、涙が出そうになり、
涙が出そうになると同時くらいに、
誰か男性の声が、、、
「頼んだぞ」と!!
ハッとして、びっくりして、我に返りそうになった途端、
次は、眉間にグイグイ圧がかかり、
松果体が熱くなりました!!
まるで、何かのエネルギーがアチューメントされたように感じました。
びっくりしました!
そして、長年、ここから、この街を守ってきた、
そして、震災も見てきた、霊木に、
光の御柱を立てあげてさせていただきました!!
スサノオ様、猿田彦大神様、経津主神様、、、
何かと、私の御神業にご縁のある神々様、、、
その神々様に支えられているような氣が
本当、しました!
そして、次に行った神社で、
鹽土老翁神の謎が完全に解け、
今回の御神業の意味も はっきりわかったのでした。
つづく。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。