↑須藤元気くんと。
この写真の頃、私に、K1を続けるべきか どうか、悩んでると話していましたが、結果、彼は、K1をやめ、いろんなリスクもある中、「生きたい道」から「生きるべき道」へと進みました。。。
~~~~~~~~
【今日の格言】
『生きるべき道』は一見、茨の道に見えるかもしれないが、
その道にこそ、
あなたの探していたものがある!
恐怖を手放し、自分を信じ、
さぁ、その道に飛び込め!!
飛び込んでこそ初めて、
そこが花園だったことに気づく!!
ただし、その道に飛び込まず、素通りする者たちには、一生、その花園を拝むことはできない。。。
そして、その花園こそ、
ある者たちは、
秘密の花園と呼び、
また、ある者たちは、
失われし聖なるアークと言う、
また、さらに ある者たちは、
岩戸開き とも言う。。。
全ては、あなたの中に。。。
花園は、天命の道の中に。。。
~~~~~~~~
もう3月ですね。早いな~。
明日というか今日は、札幌に行きますが、
寝る前に少しだけ。。。
先日、
『死に様』と『生き様』について、
http://shinsukek.ldblog.jp/archives/36653565.html
書きましたが、その続きを。。。
現在、日本も含め、先進国と言われていた国々の人々の大多数が、
死ぬ時は、何らかの病気になり、
治るか、治らないか、わからないような治療をされ、
最後は、苦しんで死んでいきます。
先日の日記にも書きましたが、
これは、とても不自然なことで、
自然界の摂理、宇宙の法則に反します。
おそらく、ムーの時代などは、ほとんどの人間は、そんな死に方をしていなかったと思います。
病気で死ぬのではなく、
この世での お努めを終えた方々が、自らの死期=あの世への旅立ちの時期を悟り、
自ら 旅立ちの準備をし、死という最後の儀礼を行い、
あの世へと旅立って行っていたような気がします。
おそらく、『死』に対する考え方、感じ方、価値観が今とは全く違っていたような気がします。
実際のところは、わかりませんが、
現代において、私たちの多くが、
不自然な死に方をしていることは わかります。
しかも、
不自然な死に方をしているだけでなく、
死ぬまでの人生においても、
病気や お金、人間関係、あるいは、まだ来ない未来に対する不安や、日々の仕事などなどで、
悩み苦しみ生きている人たちも非常に多いです。
悩み苦しみ続け、最後も、苦しんで死ぬねんて、最悪な人生だと思いませんか?
でも、そんな生き方、死に方をしている人たちはいっぱいいるんです。
それらの原因は、
確かに、社会システムに問題があるのかもしれません。
あるいは、「自分さえ 良ければ良い」の人たちが増えたからかもしれません。
おもいやり や 真心が欠如した世の中になったからかもしれません。
あるいは、環境破壊や食べ物などに大きな原因があるのかもしれません。
もしくは、親子関係や夫婦関係の いざこざがあるからかもしれません。
自分が悩み続け、こんな苦しい死に方になったのは、◯◯のせいだ~!と、
心の中で叫びながら死んでいった人々もいっぱいいたかもしれません。
でも、これまで何度も言ってますが、
悩み続けるのも、
病気になってしまうのも、
あるいは、病気をネガティブなものと感じてしまうのも、
苦しい 死に方で人生を終えなければならなくなるのも、
幸も不幸も、行き着くところ、全ては、
自分自身に原因があるのです。
究極は、誰のせいでも、社会のせいでもありません。
全ては、自分自身に原因があるのです。
自分以外のものに原因があると思っている間は、全く、精神的に成長しません。
それどころか、どんどん悪くなっていきます。
※ただし、小さなお子様の病気などは、親に原因があったりするし、
あるいは、先天的な病気などは、その親が学ばないといけないことがあったりする場合があったり、あるいは、病気をもった状態で生まれてくることが天命の人なども居ますが、
今日の話は、そういう人たちの話ではなく、
健全な人が病気になったり、苦しんでいる場合の話とします。
基本的に、
物心がついて、死ぬまで、悩み苦しむのも、
病気になってしまうのも、
不自然な死に方になってしまうのも、
全部、自分に原因があり、自分が作り出した世界です。
そういう世界に いつまでも居たくなければ、
自分自身が変わるしか ないのです。
(囚われや執着から解放され、本来の在るべき イキイキとした ありのままの本当の自分に戻るしかないのです)
あるいは、
その世界を引き寄せたくなければ、
そんな世界を引き寄せてしまう生き方をしないことです。
でも、病気がどんどん増えるのも、自殺が増えるのも、不自然な死に方が増えるのも、
その基本的なことに気づいていない人々が多いからです。
サプリメントを飲み続ければ、病気にならないのではなく、
情報を頭に詰め込めば、不安が消え、悩みが無くなり、不自然な死に方をしなくてすむのでもなく、
また、
仕事をしまくって業績をあげたり、今の不自然な社会から評価されれば、不自然な死に方をしないわけでもないんです。
全ては、己の心が、在るべき状態になっているかどうか、なのです。
そして、
生きるべき道を生きているかどうか、なのです。
不幸な人は、
ついつい、刷り込まれて来た価値観によっての思考とイメージが創り出した「生きたい道」を生きようとしてしまいがちですが、
そういう創り出された「生きたい道」は、
天命から、どんどんズレて行きます。
そのズレが葛藤を作り出し、悩み多き人生を実現させ、苦しんで死ぬ最期を引き寄せてしまうのです。
一方、幸福な人というのは、
「生きるべき道」、すなわち天命の道を、
早くから模索し、その道を生きようとし、たどり着いた人々です。
そして、そんな風にして、「生きるべき道」にたどり着き、その道を生きている人は、
最初は辛い試練があっても、前向きにがんばれるし、
がんばっているうちに、学び多き人生となっていき、
学びと気づきが増えるにつれ、道がどんどん開かれていくことに気づき、ますます、楽しく、ますます、天命の道を突き進んでいきます。
そして、ある時、気づきます。
その「生きるべき道」が「生きたい道」だったと。。。
自分が、魂の底から「生きたい道」と思っていた道は、
若い頃、イメージしていた社会洗脳から生み出された「生きたい道」とは違っていて、
今、生きている、この「生きるべき道」こそが「生きたい道」であったことに気づき、
この上ない、幸福感を感じます。
真の幸福感は、願望や欲望を満たすことで感じる程度のことではなく、
自分の『生き様』の中にあるのです。
そして、そういう生き方をしてきた人々の『死に様』もまた、美しく、自然な死に方となるのです。
生きたい道、
生きるべき道、
そして、今 生きている道、、、
この三つの道が合致している時、
人間は、ポテンシャル高く生き、
この上ない幸福感の中で生きるのです。
ついでながら、
レイキ講座でよく言っていることですが、
言っていること、
思っていること、
していること(行動)、
この三つが合致している者は神通力が働き、ポテンシャル高く生きるのです。
易き(やすき)に流れるでない!
真理の道を行け!!
されば、道は開かれる!!
一回きりの人生を大切に。。。
ではでは、おやすみ~☆
~~~~~~~~
【今日の格言】もう一つ。
病気になって、苦しむくらいなら、
病気にならない生き方をしよう!!
(食べ過ぎて、太ってしまい、フィットネスやダイエットをするくらいなら、最初から食べ過ぎないようにすれば良いんだよ、ということと同じです。本当、ブラックジョークにもならないよ!)
~~~~~~~~
【今日の格言】さらに もう一つ。
人生を、
もがき苦しむ辛苦なものにするか、
歓び溢れる輝かしいものにするか、
それは、あなたの選択次第。
心の在り方次第。
~~~~~~~~
【今日の格言】さらに さらに もう一つ。
人生という道の
右側は美しい花園が連なっていて、
左側はゴミ溜めになってると仮定した時、
不幸な人というのは、
左側のゴミ溜めばかり見ようとしてしまう。
向きを変えたら、そこには花園が広がっているというのに、
その花園が続く右側を見ようとしないのは、
本当、人生を無駄にしてしまっているよう。
もったいない!
それに気づいたら、
気づいたら その日から
ちゃんと、花園のある右側を見て 歩こうね!
~~~~~~~~
この写真の頃、私に、K1を続けるべきか どうか、悩んでると話していましたが、結果、彼は、K1をやめ、いろんなリスクもある中、「生きたい道」から「生きるべき道」へと進みました。。。
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【今日の格言】
『生きるべき道』は一見、茨の道に見えるかもしれないが、
その道にこそ、
あなたの探していたものがある!
恐怖を手放し、自分を信じ、
さぁ、その道に飛び込め!!
飛び込んでこそ初めて、
そこが花園だったことに気づく!!
ただし、その道に飛び込まず、素通りする者たちには、一生、その花園を拝むことはできない。。。
そして、その花園こそ、
ある者たちは、
秘密の花園と呼び、
また、ある者たちは、
失われし聖なるアークと言う、
また、さらに ある者たちは、
岩戸開き とも言う。。。
全ては、あなたの中に。。。
花園は、天命の道の中に。。。
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もう3月ですね。早いな~。
明日というか今日は、札幌に行きますが、
寝る前に少しだけ。。。
先日、
『死に様』と『生き様』について、
http://shinsukek.ldblog.jp/archives/36653565.html
書きましたが、その続きを。。。
現在、日本も含め、先進国と言われていた国々の人々の大多数が、
死ぬ時は、何らかの病気になり、
治るか、治らないか、わからないような治療をされ、
最後は、苦しんで死んでいきます。
先日の日記にも書きましたが、
これは、とても不自然なことで、
自然界の摂理、宇宙の法則に反します。
おそらく、ムーの時代などは、ほとんどの人間は、そんな死に方をしていなかったと思います。
病気で死ぬのではなく、
この世での お努めを終えた方々が、自らの死期=あの世への旅立ちの時期を悟り、
自ら 旅立ちの準備をし、死という最後の儀礼を行い、
あの世へと旅立って行っていたような気がします。
おそらく、『死』に対する考え方、感じ方、価値観が今とは全く違っていたような気がします。
実際のところは、わかりませんが、
現代において、私たちの多くが、
不自然な死に方をしていることは わかります。
しかも、
不自然な死に方をしているだけでなく、
死ぬまでの人生においても、
病気や お金、人間関係、あるいは、まだ来ない未来に対する不安や、日々の仕事などなどで、
悩み苦しみ生きている人たちも非常に多いです。
悩み苦しみ続け、最後も、苦しんで死ぬねんて、最悪な人生だと思いませんか?
でも、そんな生き方、死に方をしている人たちはいっぱいいるんです。
それらの原因は、
確かに、社会システムに問題があるのかもしれません。
あるいは、「自分さえ 良ければ良い」の人たちが増えたからかもしれません。
おもいやり や 真心が欠如した世の中になったからかもしれません。
あるいは、環境破壊や食べ物などに大きな原因があるのかもしれません。
もしくは、親子関係や夫婦関係の いざこざがあるからかもしれません。
自分が悩み続け、こんな苦しい死に方になったのは、◯◯のせいだ~!と、
心の中で叫びながら死んでいった人々もいっぱいいたかもしれません。
でも、これまで何度も言ってますが、
悩み続けるのも、
病気になってしまうのも、
あるいは、病気をネガティブなものと感じてしまうのも、
苦しい 死に方で人生を終えなければならなくなるのも、
幸も不幸も、行き着くところ、全ては、
自分自身に原因があるのです。
究極は、誰のせいでも、社会のせいでもありません。
全ては、自分自身に原因があるのです。
自分以外のものに原因があると思っている間は、全く、精神的に成長しません。
それどころか、どんどん悪くなっていきます。
※ただし、小さなお子様の病気などは、親に原因があったりするし、
あるいは、先天的な病気などは、その親が学ばないといけないことがあったりする場合があったり、あるいは、病気をもった状態で生まれてくることが天命の人なども居ますが、
今日の話は、そういう人たちの話ではなく、
健全な人が病気になったり、苦しんでいる場合の話とします。
基本的に、
物心がついて、死ぬまで、悩み苦しむのも、
病気になってしまうのも、
不自然な死に方になってしまうのも、
全部、自分に原因があり、自分が作り出した世界です。
そういう世界に いつまでも居たくなければ、
自分自身が変わるしか ないのです。
(囚われや執着から解放され、本来の在るべき イキイキとした ありのままの本当の自分に戻るしかないのです)
あるいは、
その世界を引き寄せたくなければ、
そんな世界を引き寄せてしまう生き方をしないことです。
でも、病気がどんどん増えるのも、自殺が増えるのも、不自然な死に方が増えるのも、
その基本的なことに気づいていない人々が多いからです。
サプリメントを飲み続ければ、病気にならないのではなく、
情報を頭に詰め込めば、不安が消え、悩みが無くなり、不自然な死に方をしなくてすむのでもなく、
また、
仕事をしまくって業績をあげたり、今の不自然な社会から評価されれば、不自然な死に方をしないわけでもないんです。
全ては、己の心が、在るべき状態になっているかどうか、なのです。
そして、
生きるべき道を生きているかどうか、なのです。
不幸な人は、
ついつい、刷り込まれて来た価値観によっての思考とイメージが創り出した「生きたい道」を生きようとしてしまいがちですが、
そういう創り出された「生きたい道」は、
天命から、どんどんズレて行きます。
そのズレが葛藤を作り出し、悩み多き人生を実現させ、苦しんで死ぬ最期を引き寄せてしまうのです。
一方、幸福な人というのは、
「生きるべき道」、すなわち天命の道を、
早くから模索し、その道を生きようとし、たどり着いた人々です。
そして、そんな風にして、「生きるべき道」にたどり着き、その道を生きている人は、
最初は辛い試練があっても、前向きにがんばれるし、
がんばっているうちに、学び多き人生となっていき、
学びと気づきが増えるにつれ、道がどんどん開かれていくことに気づき、ますます、楽しく、ますます、天命の道を突き進んでいきます。
そして、ある時、気づきます。
その「生きるべき道」が「生きたい道」だったと。。。
自分が、魂の底から「生きたい道」と思っていた道は、
若い頃、イメージしていた社会洗脳から生み出された「生きたい道」とは違っていて、
今、生きている、この「生きるべき道」こそが「生きたい道」であったことに気づき、
この上ない、幸福感を感じます。
真の幸福感は、願望や欲望を満たすことで感じる程度のことではなく、
自分の『生き様』の中にあるのです。
そして、そういう生き方をしてきた人々の『死に様』もまた、美しく、自然な死に方となるのです。
生きたい道、
生きるべき道、
そして、今 生きている道、、、
この三つの道が合致している時、
人間は、ポテンシャル高く生き、
この上ない幸福感の中で生きるのです。
ついでながら、
レイキ講座でよく言っていることですが、
言っていること、
思っていること、
していること(行動)、
この三つが合致している者は神通力が働き、ポテンシャル高く生きるのです。
易き(やすき)に流れるでない!
真理の道を行け!!
されば、道は開かれる!!
一回きりの人生を大切に。。。
ではでは、おやすみ~☆
~~~~~~~~
【今日の格言】もう一つ。
病気になって、苦しむくらいなら、
病気にならない生き方をしよう!!
(食べ過ぎて、太ってしまい、フィットネスやダイエットをするくらいなら、最初から食べ過ぎないようにすれば良いんだよ、ということと同じです。本当、ブラックジョークにもならないよ!)
~~~~~~~~
【今日の格言】さらに もう一つ。
人生を、
もがき苦しむ辛苦なものにするか、
歓び溢れる輝かしいものにするか、
それは、あなたの選択次第。
心の在り方次第。
~~~~~~~~
【今日の格言】さらに さらに もう一つ。
人生という道の
右側は美しい花園が連なっていて、
左側はゴミ溜めになってると仮定した時、
不幸な人というのは、
左側のゴミ溜めばかり見ようとしてしまう。
向きを変えたら、そこには花園が広がっているというのに、
その花園が続く右側を見ようとしないのは、
本当、人生を無駄にしてしまっているよう。
もったいない!
それに気づいたら、
気づいたら その日から
ちゃんと、花園のある右側を見て 歩こうね!
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