2006年に友人たちと作ったビデオです。
是非とも、ご覧ください。(音有り、3分ほどです。
波動上昇が進行する今、知識という物質だけにすがっていても救われません。
意識という無形のものにフォーカスしていく必要がありそうです。。。
さて、下記の図は、『十牛図』と言い、人間の意識の段階を表した絵図です。。。是非ともご一読くださいね。
(ウィキペディアより)
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名。
以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。
左から、1) 尋牛、2) 見跡、3) 見牛、4) 得牛
左から、5) 牧牛、6) 騎牛帰家、7) 忘牛存人、8) 人牛倶忘
左から、9) 返本還源、10) 入鄽垂手
1) 尋牛(じんぎゅう) - 牛(悟り)を捜そうと志すこと。 悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2) 見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。 足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3) 見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。 優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4) 得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。 何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5) 牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。 悟りを自分のものにするための修行を表す。
6) 騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。 悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7) 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。 悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8) 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。 悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9) 返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。 悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10) 入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
====================================
この『十牛図』は、人間の意識の段階を、すごくわかりやすく説明してくれています。。。
自己啓発やスピリチュアル、陰謀論などが好きな人たちの、落とし穴というと、
一般的に知られていないことを知ったことで満足し、それで悟りを得たような気持ちになってしまうことが、
まず最初の落とし穴です。。。
特に、そのような情報を、はじめて知った時、最初の衝撃は、その人を興奮させたり、有頂天にしてしまい、
グラウンディング(地に足を付けて生きる)から、遠ざかしてしまうこともあります。
「知る」ということと、「分かる」ということ、「腑に落ちる」ということ、
さらには、学んだものが「血となり、肉となる」ということ、そして、「魂が磨かれる」ということは、全然違ってきますが、
「知る」(十牛図の1~2)、「分かる」(十牛図の3~4)の段階の人たちは、たくさん居ますが、
「腑に落ちる」段階になると、グッと減ってきます。。。
本当に「腑に落ちる」と、人間は行動そのものや行動も想いも質が変ってきます。(十牛図の5~6)
日々の日常や仕事への想い、質が変ってきます。行動の範囲が広がっていきます。
そして、その行動から、様々な体験を通して、様々な気づきを得て、より悟りに近付いていきます。
ところが、せっかく、この意識の段階まで来ても、落とし穴があります。
それは、この段階で、「悟りを得た」と思いこんでしまうことが非常にあるのです。。。
しかし、それを越えて、「無」の段階へと進む必要性があるんです。
いわゆるニュートラルな状態とも言えるかもしれません。。。
このラインがアセンション的なラインとも言えるかもしれません。
そして、9の「返本還源」へ。その人にとっての「ミロクの世」が実現されているのかもしれません。。。
とかく向上心の強過ぎる人間が、この図で言うところの1から8へなど、一足飛びで行きたがる傾向があります。
でも、人間の意識というのは、そう簡単には、一足飛びには覚醒しないものです。
「意識の段階」というものが、あり、一歩ずつ、一歩ずつしか、上昇していきません。
(ただ、人によって、その段階への進行スピードが違ってきます)
また、意識の段階があるので、例えば、上の図の2や3の人は、6や7の人の言っていることの真意や気持ちがなかなか理解できないという現象も起こります。
かと言って、2や3の人間が無能であるとか、ダメな人間ということではありません。
例えば、足し算を覚えたばかりの小学生に、中学生が、掛け算の問題を、その小学生に出しても、
その小学生は答えられません。
だからと言って、その小学生はダメでもないし、無能なわけではありません。
また、中学生も、その掛け算ができない小学生を見て、バカだとは思いません。カワイイと思うだけです。
話は、中学生が小学生に合わさないと、通じませんが、中学生が、素で話すと、小学生は理解できません。
そういう状態と似ています。
また、どれだけ知識が豊富な人でも、悟りを得たようなことを言われる人でも、オーラが薄い人には説得力が無いように、
人間は、本を読んだり、セミナーに参加しただけは、意識は上昇していかないのです。
本やセミナーなどで学んだ知識や気づきを日常や人生に活かして、生きて行き、切磋琢磨、行動し、体験し、
その体験の中から、感じ、また学び、また気づいていくということを繰り返して、人間は成長していくものと感じます。
(ちなみに、私が教えるレイキでは、レイキは「手段・ツール」の一つであり、「目的」でないと教えています。レイキの技術をマスターすれば完成するのではなく、レイキを日常に活かし、世の中のための役立て、自分の霊性進化に役立て、悟りへと近付くことが大切だと伝えています。なので、知識より、実践を重視しています)
高度経済成長期頃から、学校教育や会社での管理体制が変ってきたからでしょうか、
とかく、日本人はノウハウやマニュアルを望む傾向が強くなってきましたから、
悟りも霊性進化も、無意識に、知識やノウハウに頼ろうとする人が増えてきたのです。
悟りも霊性進化も、人によって、そこへたどり着く道が異なるのです。均一化、マニュアル化なんて、そもそも無理なんです。。。
ですから、成長の糧は、日常や職場などの現実の場にたくさん横たわっているはずです。
また、未だかつて体験の無い未知の現象世界の中にあるかもしれません。
本の中やセミナーの中に、詰まっているわけではありません。
本やセミナーなどは、その成長を促すためのきっかけや成長を加速させるためのヒントでしかないのです。
最近は、いろんな本やセミナーがありますから、本を読んで、知っただけ、ワークショップを受けただけで、
もう、自分は成長した~と思いがちな人たちも居ますが、
その知ったこと、学んだこと、気づいたことを、ちゃんと、日々の日常や行動に移していかなければ、「気づいた」ことにはなりません。
その時、そう「思った」だけなのです。
今まで知らなかった情報やノウハウを得て、脳が刺激され、
その時の興奮で、「気づいた」と錯覚してしまっているだけなのです。
本当に、気づいた人間というのは、今までの生き方も考え方も変化し、行動も変化していくものです。。。
野球の松井秀樹さんが、青陵高校時代に、監督から教えてもらった下記の言葉を部室に貼り、がんばっていたそうです。
心が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、
運命が変わる! と、、、。
あなたの「気づき」は、どこまで、あなたを「本気」にさせていますか…?
「本気」にならない「気づき」は、気づきではありません。脳が刺激されただけです。。。
昨年、東日本大震災でが起こりました。。。
どんな意味があったのでしょう? あなたは、どのようなメッセージを受け取りましたか?
あれから、もうすぐ1年…、、、あなたは何が変りましたか?
あなたが変わらなければ、政治も経済も変りませんね。。。
でも、宇宙意識は、この地球をどんどん変化させて行っています。
その変化に乗っていくのは、「十牛図」を一歩一歩、すばやく進めていってみてくださいね。。。
マイ・ペースなんて、言っていられない時期に突入します。
マイ・ベスト・ペースで、お過ごしください。。。
では、また!
★ご参照に デヴィッド・R・ホーキンズ博士著(エハン・デラヴィさん訳)『パワーか、フォースか』より
以下は、2005年5月7日の、私の過去のブログの日記より抜粋しました。
ご参照ください。
尚、エハン・デラヴィさんは現在、「JCガブリエル」の名前で、ご活躍されています。
(←エハンさんと私) デヴィッド・R・ホーキンズ博士著、エハン・デラヴィさん&愛知ソニアさん訳の「パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学」をお読みになった方は多いかと思います。
その著書では、キネシオロジー(身体運動学)テストによって、1~1000までの人間の意識のレベルがわかると言います。その意識のレベルをまとめた意識のマップは左記の通りです(はしょってます)。
先日、ご紹介した船井幸雄さんの著書「世の中、大激変中 いま一番知ってほしい大切なこと」でも、ノストラダムス研究の第一人者・池田邦吉さんの著書「あしたの世界 (P3)」でも、この「パワーか、フォースか」のことが取り上げられており、下記のことの一部が抜粋されています。
1980年代後半、意識のレベルは、人類の85%が200。そして、人類の4%が500以上、0.4%が540に達し、600以上は1000万人に1人であると言われ、人類全体の平均は207となっていたのが、
エハン・デラヴィさんの調査によると、9.11NYテロの後は人類の平均は203まで落ちたということがわかったということです。
一生涯で平均5ポイントしか上昇できないと言われる中で、4ポイントも下がるということは、人類の意識に大きな影響があったことを思い知らされます。
それに対して、エハン・デラヴィさんのテストによると、日本人の平均は620という「平和」意識のレベルにまで達しているということです。
マザーテレサやガンジーが700ですから、この数値は非常に高いものであると考えます。
ただ、個人的に思うのは、平均値が高いからといって驕り高ぶってはいけないと思いますし、
「平均」ということは、裏を返せば、上下のギャップが激しくなっているのかもしれません。
昨年の新潟中越地震や台風の異常発生、最近では尼崎の脱線事故などを考えると、まだまだ私たちの意識力が不足しているのが現状ではないかと考えます。
自然界が天変地異を起こさせなくて良いように、私たち一人一人の意識を1日も早く成長させていく必要がありそうです。
では、また!!!
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。