私の尊敬するマザー・テレサさんは、祈ってばかりいたのではありません。
昼夜問わず、懸命に走り続けた活動家であったのです。。。
マザー・テレサさんの名言に、
「愛の反対語は無関心」というのがありますが、
311から1年以上経った今、
原発が全面撤廃になるどころか、
大飯原発再稼働となるということは、
このブログのお読みの皆さんが、原発を反対されていたとしても、
世の中全体で見た時には、
原発の賛成は少ないと思いますが、
無関心な人々や、原発や世の中のことより自分のことに関心のある人たちが、とても多くて、
その集合意識のエネルギーの方が高くて、原発再稼働をいう現象を生み出したような気がします。。。
たとえ集合意識であったとしても、
私たちは、してはならない選択をしてしまったのです。。。
★今、宮城県で震度5強の地震が発生しました!一日も早く、意識覚醒を急ぎましょう!
地震を止めようとする祈りは、自然の摂理を無視した人間のエゴです。地震を止めるのではなく、まずは自分が意識覚醒することが大切で、祈るならば、自分が天命の道を生きることをコミットしつつ、一人でも多くの人々が、一日も早く意識覚醒し、天命の道を生きることを祈ると良いと思います。
★以前に書いた「祈りについて」は
http://shinsukek.ldblog.jp/archives/8231223.html に。
さて、世の中が、混沌として行くにつれ、神社などに行って、
「世の中が良くなりますように」と、お祈りする人が増えてきたように思います。
それは、それで、とても素晴らしいことですが、
そのようなことを過去何年もしてきた私の体験からのアドバイスをしておこうと思います。。。
まず、神社などに行って、「お願い」は、してはいけないことは、
今となっては多くの人が知っていると思います。
神棚には「鏡」がありますが、それは、その人の意識の様相を映すようになってますが、
お願いすると、そのまま跳ね返ってきて、
「お願いされる」ことを意味します。
まだまだ、世の中では、一般的に、「祈願」ということで、家内安全から、商売繁盛など、いろいろお願いしてますが、
これは、大きく誤っており、人間の欲望の想念を神社に置いていくことになります。
でも、どうしても、「お願い」したいのならば、
まず、「お願い」をする前に、自分が天命を果たすことをコミットメントしましょう。
そして、「お願い事」は、自分の欲望や願望とは異なること、、、誰かのため、社会のために祈りましょう。
神様が望まれることと、自分の天命とは一致していますから、
天命を果たそうとする者たちの「お願い事」とは、神の望みでもあるわけですから、
その場合の「お願い事」は許可されるものと思います。
例えば、
「◎◎から来ました○○と申す者です。いつもお世話になり、誠にありがとうございます。
私は、己の天命を果たせるよう、精一杯尽力する覚悟でございますので、
一人でも多くの人々が深い気づきを得て、世の中がより良くなるよう、ご支援しただけますよう、
よろしくお願い致します」などと、お祈りすると良いように思います。
これは、鏡のフィードバックの法則で言うと、自らコミットメントすることで、鏡の向こうの、もう一人の自分と手を組むことを意味しますから、とても良いことになると思います。
ただし、こういった言い回しを「ノウハウ」や「オペレーション」にしてしまっては困ります。
本当に、天命を果たすために、命を懸ける覚悟を持って、神前に立っていただきたいと思います。
ですので、
私が思う、お祈りは、
何が最も大切か?と言いますと、
祝詞を読むこと良いですが、、
お経を読むことも良いですが、
(ちなみに、祝詞もお経も、そのコトダマにも深い意味がありますが、同時に、その「音」にとても深い意味があり、唱え続けることで、その「音」が右脳を開く働きをし、変性意識状態になりやすくなることがわかっています。昔の人たちは、それとなしに、祝詞やお経を読むことで、宇宙と繋がりやすくなる方法を編み出したものと思われます)
何より、
神前の前に立つ者が、どういう人間で、どういう意識で、何を神様に伝えに来たのかが、大切かと思います。
(カラオケで、歌がうまくても、伝わらない人と、歌が下手でも伝わる人の違いのように、祝詞やお経が読めなくても、何よりも、その祈る人のその心持ち・真心、意識・在り方が大切です)
「助かりたいから」、「願望を実現したいから」、「好奇心を満たしたい」などの意識は言うに及ばず、
また、天命に生きていないにも関わらず、世の中の平和ばかり祈るのも、自己都合になります。
そのような場合は、自分の闇と向き合い、
「天命を果たせる人間になれるよう、自分の葛藤を手放します」とか、
「今はまだ、天命の道には生きてませんが、その道で生きていけるよう精一杯尽力致します」などと、
自分の闇を受け入れた上で、謙虚な気持ちでお祈りをされると良いと思います。
「世界平和」の前に、「自分の内なるものの平和」を実現しなければならないのです。
「助かりたい」と思う前に、「自分の内なる恐怖心」を癒す必要があるのです。。。
「行動」こそ、「祈り」。
「行動」こそ、「神動く」と、昔から言わしてもらってますが、
たまに神社などに行って、その時だけ、「祈る」ことより、
日頃、何を考え、行動しているか、、、天命を果たすために、どのように生きているかを、神様は見ているわけです。。。
口癖ですが、
「祈る」ことより、
「誰かのために、世の中のために、祈ろうという気持ちが自然に湧き起る人間性になる」ことが大切なわけです。
そういう人間性になると、
もはや、天命にしか、生きていけなくなるものです。
また、天命に生きることに歓びを感じられるようになるはずです。
超太古、神様の前に出向くことは、とても神聖なことでした。
今は時代が変わり、とてもカジュアルなものになりましたが、
神前に立つ人の意識が良くなければ、例えば、神社などは、余計にけがれてしまうわけです。
誰かのために、世の中のために、「祈る」ことは、とても崇高なことですが、
その方法と言うか、心持ちを誤ると、逆効果になりかねませんので、よろしくお願い致します。
少なくとも、神社などには、行くたびに、
「天命を果たす」ということをコミットメントしに行くことを心がけてください。
実際には、まだまだ天命の道に及ばなかったとしても、
必ずや、天命の道を生き、果たしていく努力をすることを神様にお伝えください。
一人一人が、思考を手放し、欲を手放し、天命に生きていけば、
おのずと、ミロクの世が実現するわけですから。
私たちの集合意識の写し鏡である「結果(例えば、世界平和)」を祈るは、一つ間違えると、他力本願の祈りになりがちで、
そのように祈るより、
私たち自身がシフトアップできるように、
神前では、天命に生きることをコミットメントし、日常では、天命に則して、行動していくことが、最大の祈りになるわけです。
最悪、それをノウハウにしても、
その言葉を発信していく人間は、言葉を発信するに連れ(心で思うに連れ)、いずれ、天命の道へと進んでいくようになるはずですから、
是非とも、そのようにしていただければ幸いです。
祈りのノウハウに頼ったりや、自分たちを顧みず、一方的に世界平和など祈ると、
プロパガンダと霊感商法の、悪質な宗教になりかねません。
神様は、自分の中に居ると、よく言います。
神前では、神社などで祀られている神様と、自分の内在神とを、チューニングを合わし、神々同士の対話が大切なんだと思います。
是非とも、チャレンジしてみてください。
祈り方をチャレンジするのではなく、
自分自身の精神性を高めること、天命の道を生きていくこと、、、
そんなことをチャレンジしてみてくださいね!
最高の祈りです!
でも、もし、自信が無ければ、「先達」と思える人と共に、お祈りに行きましょう。
瞑想も、先達が居なければ、良からぬものと繋がってしまうように、
お祈りや御神業も同じです。
天命成就に向けて、ひたむきに生きている人間と共に、お祈りに行くことで、
その力はより一層、崇高なものとなることでしょう。
長々書きましたが、
祈りさえすれば、あらゆることが進化、解決するのではなく、
私たちが、どういう人間になり、どう生きるか?が大切で、
神様は、私たちに、成長して欲しいだけなのです。
ただ、それだけです。
だから、私たちが日々、日常の中で気づきを得て、成長することが、
神様にとって、最高の喜びであり、
私たち人間にとって、神様への最高に祈りになるわけです。
では、また!
今朝の地震も警告でしたね。
一人でも多くの人たちが真実の愛の道を選択しますよう、わたしも引き続き、自分の天命を果たせるよう動きますね。
光が強まる一方で闇も強まっており、御神業の反動も強まっております。
お身体をご自愛ください。